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自信、湧いてきました
中立 悠紀 包括的東アジア・日本研究コース

韓国・朝鮮大学校とバラ園(2019年5月撮影)

私のような者が、広報誌での執筆を依頼されたことを光栄に思う反面、何とも言えない恥ずかしさも感じて筆をとります。というのは、私の大学院時代は怠惰な生活であり、人に誇れるようなことをしていなかったからです。今私は、他大学の大学院ゼミに参加し、そこで院生の方たちに研究を褒めていただき悦に浸っておりますが、その一方で「あなた達の方が、院生時代の自分より、よっぽど優秀だよ」と心の底から思います。そのような者がこのような場で自身の経験を振り返り語ることに、どうしようもなく恥ずかしさを感じます。ですが、私が迷惑をかけてきた指導教員、マシュー・オーガスティン先生の依頼ということで、お受けしたからには、多少は有益なお話ができればと思います。

私は2012年4月に比較社会文化学府の修士課程に入学し、2014年3月に修了、その年の4月に地球社会統合科学府博士後期課程の一期生として入学しました。そして2018年3月に博士後期課程を修了しました。在学中は、主に東京裁判(極東国際軍事裁判)とBC級戦犯裁判をめぐる諸問題について研究しておりました。ここでは、修了後の韓国での就職から現在の学振PDに至る足跡を、主に紹介します。

博士号修得後、私は韓国・光州広域市にあります、私立大学・朝鮮大学校(外国語学部)に就職しました。光州は、福岡からはまず飛行機で釜山へ、そこから高速バスを使って約3時間の場所にあります。

朝鮮大学校では、最初の1年間は授業に馴れることに四苦八苦しておりました。大学院時代にTAをしていた際に、指導教員に代わって講義(私お得意の東京裁判についてなど)をさせていただいた経験はあったのですが、やはり専任教員として授業をするのは勝手が違います。特に最初は、緊張から来る余裕の無さを打ち消すこと、学生に緊張が伝わらないようにすることに必死でした。授業内容を完璧に準備し、どのような順番でことを進めるのか、細部までイメージトレーニングしていました。

ようやく、「授業に馴れた、教室の雰囲気が作れるようになった」と思えたのは1年半が経った時でした。少なくとも自分にとって授業で大切なのは、①学生に対して自然体にオープンマインドで接すること(語弊はありますが、家族や友人と接するように。もちろん学生との距離感は忘れずに)、②自分自身が誰よりも一番に、学生たちとの時間と授業内容を楽しむことだと分かりました。このことを気づかせてくれた朝鮮大学校の学生たちには、本当に感謝しております。

2020年2月から韓国でも新型コロナウィルスが猛威を振るい始め、この年の新学期から急遽オンラインで授業をしなければならないというハプニングもありました。これによって、また四苦八苦することになりましたが、オンラインだからこそできるアクティビティを実践することができ、自分のできる講義法・アクティブラーニングの方法の幅が広がり、かえって良い経験になりました。

学生たちの日本語会話能力は、人にもよりますが総じて非常に高く、驚きました(日常会話は困らないレベルの人がほとんどでした)。特に上級生向けの授業では、日本と韓国の間にある歴史問題(植民地支配、徴用工、在日朝鮮人、慰安婦、日韓請求権協定、韓国人BC級戦犯など)や、日本社会と韓国社会、それぞれが抱える社会問題(教育、大学、就職、労働、家族問題等)について講義とディスカッションができ、韓国人学生の生の意見を聞けるという非常によい機会でした。

特に当時、日韓間で外交問題になっていた徴用工問題について議論できたことは、本当に新鮮な経験ができたと思います。ディスカッションである学生が発言した「合法的植民地支配というのは合法的強盗のような響きがある」という言葉は、ずっと私の心の中に突き刺さっています。植民地支配を受けた国と支配をした国の感覚の違い、他の国の主権を奪い支配することへの感覚の麻痺を感じざるを得ませんでした。

また教員という立場になって分かったのは、学生の何気ない一言や意見が、なぜだがずっと記憶され続けることです。それが大学教員という仕事の醍醐味なのかなと思います。

授業の一コマ(2021年6月撮影)

また韓国滞在中に、ようやく重い腰を上げて英会話の訓練を始めました。「なぜ英語?」と思われるでしょうが、大学院時代、指導教員がアメリカ人でありながら、私は英会話の訓練を全くできていませんでした(全く地球社会を生きる人間でありませんでした)。ですが海外に就職したことで、ようやく「海外志向」になり、自分の研究成果を英語でできるだけ多くの人に発信したいというマインドが持てるようになりました。同じ外国語学部所属の他学科の外国人教員などと、英語で会話ができるようになり、それが誇らしかったです。ですが私を反面教師として、今現在大学院生の方には、在学中から英会話の訓練をして研究発信することをお勧めします。

その後日本に帰国し、2022年春からは明治大学で日本学術振興会特別研究員(PD)を務めております。明治大学は、東京都千代田区という日本の心臓部に立地し、近辺には国立公文書館や国立国会図書館、外務省外交史料館、靖国神社などがあり、日本の近現代史・特に中央政治の動きを研究するには、うってつけの環境です。

私を受入教員として迎えてくださったのは明治大学文学部の山田朗先生です。山田先生は、昭和天皇の軍事指導、近代日本の軍事力についてや、現在明治大学生田キャンパスとなっている陸軍登戸研究所を研究しています。先生の研究と打ち出している歴史像には、日本人だけでなく、人類が忘れてはいけない歴史があると私は思っています。

山田先生のゼミは大所帯であり、様々な出自・研究分野をお持ちの方が集まっています。そのゼミ生の報告や議論に加われるのは刺激的であり、多くのことを学んで自分の研究にも取り込んでいます。他方で、私も院生の方たちに役立てるポスドクであろうと、研究相談や情報提供に応じています。余計なお世話の押し売りの時もあるでしょうが、韓国での教員経験もあって、後進の役に立ちたいと思えるようになったのは私の成長です。次の大学長期休業の際には、遠足気分でゼミ生を引率して都内の資料館に行く計画です。

またこの研究分野で、自信が湧いてきました。10年近く前、修士課程であった当時の私は、生意気でありながらも先生や先輩たちの凄さに心の底で圧倒されており、ゼミでも「地蔵状態」でした。しかし今は、日本近現代史研究の様々な事柄に頭が多少回るようになり、後進にとって役立つ存在になりました。そう思わせてくれたこれまでの自分の努力と、オーガスティン先生ら九州大学の先生方、朝鮮大学校の学生方、山田先生やゼミ生の方たちには、本当に感謝しております。

最後に、私の研究の進捗状況と宣伝をさせていただきます。

博士論文を基底とした初の学術単著の形が、2022年にほぼできあがりました。本のタイトルは、『東京裁判・BC級戦犯裁判と帝国陸海軍軍人 ―裁判対策、戦犯釈放運動、靖国戦犯合祀、歴史修正主義』と予定しております。本書は、東京裁判・BC級戦犯裁判の裁判対策を日本政府内で練り、サンフランシスコ平和条約発効後は戦犯釈放運動と靖国神社への戦犯合祀を推進した帝国陸海軍軍人たち、さらに「スガモ組政治家」(岸信介、清瀬一郎ら)の思想と行動を分析したものです。本書では、昭和の戦争と、このような一部の旧軍人・戦犯たちが「もう一つの戦争 」と呼んだ戦犯裁判という「二つの戦争体験」から培われた思想を「スガモ思想」(傍流の戦後思想)と呼び、この思想と行動が、日本の政治・外交・社会・思想、そして国際関係・平成期の歴史修正主義運動に与えた影響を、1930年代から1990年代に至るまで体系的に纏めた内容になります。

今日、「地球社会の諸問題」を解決するにあたって、東アジアでその協力関係の深化を阻んでいるのは、間違いなく冷戦の残滓というべき国際関係とともに、日本帝国の対外戦争をめぐる歴史和解の困難性です。本書は、そのことを考えるにあたっての一つの材料を提供します。すなわち、日本社会に伏流し続けた、「あの戦争について弁護したいことがある」という情念のウネリを、長い時間軸、広い空間軸から考察します。歴史学、社会学(歴史社会学)、政治学、国際政治学の知見を横断し、歴史問題に関心のある韓国や中国、アメリカなどの人々にとっても読みごたえのあるものにします。学際性と国際性を謳った九州大学大学院地球社会統合科学府の修了生にふさわしい内容としますので、どうぞご期待ください!