学府について

縁に立つ、縁を紡ぐ
長田紀之 包括的東アジア・日本研究コース

 2025年4月に着任いたしました、長田紀之と申します。東京に生まれ育ち、前の職場までずっと関東におりました。九州には、旅行や出張で訪れたことしかありませんでしたが、縁あってこちらで働くこととなりました。素晴らしい環境のもと、みなさんと一緒に学べることをとても楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。

 私の専門はミャンマーの近現代史です。学問分野としては、東南アジア地域研究と歴史学に帰属意識をもっています。ミャンマー研究の道を歩むことになった動機はあいまいです。20歳前後のほんの数年のあいだに小さな選択を繰り返すうち、なんとなしにそうなっていました。大学で東洋史学のコースに入り、東南アジア史の先生のゼミに参加したこと、卒業論文の題材をイギリス植民地期のミャンマーに探すと決めたこと、初訪問した同国で痛い目を見たけれど、それが不思議な魅力ともなって再訪問を期したことなどが、ひとつひとつスイッチになりました。

 多分になりゆきまかせのところはありましたが、これらの選択の背後には、きらびやかな真ん中よりも、ほのぐらい端っこの方を好むという自分の性分があった気がします。学問分野としての東洋史では、中国史や西アジア史の伝統が古く、東南アジア史はマイナーな分野と思われました.。なかでもミャンマーに関する研究蓄積は一段と少ないように見えました。自分の実生活のうえでも、当時、長く軍事政権下にあったミャンマーは、マスコミでの報道も限られ、遠い存在でした。

 ただ、なにが真ん中でなにが端っこであるかは、自分の狭く偏った視野のなかでそう認識されただけのことでした。往々にして、端っこと思われた部分を注視したり、そこに身を置いたりしてみると、以前の自分の認識が改められるものです。地域研究としての東南アジア研究は、実のところ、学際的な取り組みがさかんになされるエキサイティングな分野で、東南アジア史学はそのなかの重要な一角を占めていました。

 ミャンマーについても、奥深い歴史があることをすぐに知りましたし、国土の全体を見渡すと、特にその周縁部にこそ、自然環境面でも文化面でも驚くほど豊かな多様性があることに気が付きました。さらに視野を広げれば、東南アジアという枠組みのなかでは西北の端っこに当たるミャンマーが、実は、中国やインドと長い国境線で接し、東アジア、南アジア、東南アジアを地理的につなぐ独特な位置を占めていました。

 こうして私は、周縁(と思われたところ)の視点に立つことで自分のものの見方が刷新されていく、その過程の面白さにのめりこんでいったのだと思います。これまでの私の歴史研究では、英領期ミャンマーの首都ヤンゴンに多く見られた、インド亜大陸や中国大陸出身の移民たちに注目してきました。20世紀前半の植民地都市ヤンゴンは、たしかに西洋的な近代性を体現する政治経済の中心でしたが、同時に別の意味では周縁的な性格も帯びていました。内外からの移民を吸収しつつ急速に膨張する新興都市であり、19世紀末まで続いた在来の王国の中心から地理的にも文化的にも隔たっていたからです。植民地期の都市と移民への着目は、異質性や混淆性という観点からミャンマーのナショナリズムや独立後の国民国家のあり方を問い直すという課題へとつながっていきました。

 また、直近の10年ほどは、前の職場の仕事として、激動する現代ミャンマーの情勢を追い続け、折に触れて時事解説をしてきました。そこでも、私の限られた見識のなかで、国土の地理的な周縁部やマイノリティのこと、それらと密接に関係しながら長期にわたって続いてきた内戦の問題にできるだけ目配りするように努めてきました。

 植民地期から今日にいたる100年というスパンで眺めると、ミャンマーという地域は近代史のなりゆきのなかである種の因縁を抱え込んできたように思われます。そもそも歴史というのは、そうしたなりゆきと因縁の連鎖であるのかもしれません。私とミャンマーの関わりも、偶然の出会いからの四半世紀の歴史でそれなりに深い縁となりました。研究においても人生においても、周縁と因縁が私にとってのキーワードのようです。強引な結びではありますが、今後も、「縁(ふち/へり/えにし)」への関心を持ちながら勉強を続け、新しい縁を紡いでいきたいと思っています。

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