2024年10月に着任しました和田崇と申します。福岡県の出身で、20歳まで県内で過ごし、大学進学後は京都市を中心とした関西圏で12年、それから前職の大学がある三重県に約10年住んだ後、福岡へ戻ってきました。
私の専門は、日本近現代文学と比較文学です。文学研究者と聞くと、幼い頃から本が好きで、青少年期を読書とともに過ごしてきたイメージがあります。実際、私の研究仲間たちはそんな人ばかりです。しかし、私は大きく異なります。そもそも私は商業高校の出身で、高校卒業後は大学に進学せず、会社で働いたり派遣労働をしたりしていました。生まれてから大学進学を決意するまでの約20年間、読書とは無縁の生活をしてきました。文学研究を志した当初は、この空白の20年を後悔するばかりでしたが、研究者としてある程度自立するようになると、むしろこの20年が貴重な経験に思えるようになりました。基礎教養に欠けるエリートではない自分だからこそ持てる視点があると、今では考えています。なぜかというと、私が主として研究に取り組んでいるプロレタリア文学は、そうした本を読んだことがない、あるいは本を読むことを億劫がる大衆に、いかにして文学作品を読ませるのかを真剣に考えた文学運動であったからです。一時期を労働者として過ごし、本を読んでいなかった私の経験は、プロレタリア文学の啓蒙対象である大衆の視点を、かつての当事者として共有することにつながっています。
現在まで、プロレタリア文学の中でもとりわけ徳永直という作家を主な研究対象としてきました。徳永に着目した理由は大きく2つあります。1つは、徳永が労働者出身であり、文学や社会における労働者と知識人との関係を体現する存在でありながら、研究があまりされていなかったからです。徳永は戦前と戦後の一時期に時代の寵児となりもてはやされながらも、死後の評価はあまり高くありません。しかし、彼が評論で主張した大衆論や小説内で描かれる大衆たちは、主体性と流動性をあわせ持ち、大衆の可能性と限界を映し出していることに意義があると考えています。もう1つは、徳永の小説のいくつかが、旧ソ連をはじめとする社会主義圏で翻訳されており、日本文学史上の早い時期に、複数言語への翻訳という現象を生んだからです。しかも、それらの翻訳は国家や巨大資本の力を借りない民間主導の試みであり、その背景には国を超えたさまざまな人脈での文化交流がありました。
プロレタリア文学を長年研究して気づいたのは、文学作品はそれ単体で受容されるのではなく、演劇や美術、音楽など複数の芸術と結びつき、さらには、歴史や社会の影響を大きく受けることです。それは、プロレタリア文学を領域横断型の文化運動の中に位置づけ、総合芸術として捉える視点につながりました。したがって、プロレタリア文化運動を議論する際には、文学や演劇の研究者はもちろんのこと、美術研究者や歴史学者とも協同し、学際的な研究を行っています。また、プロレタリア文化運動は、徳永の作品の翻訳が示すように、国際性を持った運動でした。ただしその国際性は、戦間期(1920~30年代)という同時代的な現象にとどまらず、メタ的な視点で、現在の学術研究においても発揮されています。2017年に私が参加したイギリスのリーズ大学でのワークショップでは、ヨーロッパと日本の研究者たちが、プロレタリア作家をはじめとする〈転向〉の問題をともに議論しました。2022年に私が実行委員の一人を務めた国際シンポジウム「吼えろアジア」では、オンラインを併用しながら、6つの国や地域出身の研究者たちが、東アジアにおけるプロレタリア文学の相互受容について検討しました。このように、研究内容と研究体制の双方にわたる国際的な研究も行っています。
徳永直の作品を研究し始めた当初は、異分野の研究者と共同研究をしたり研究発表や資料調査のために海外へ足を運ぶようになったりすることはまったく考えていませんでした。人見知りで語学音痴の私がここまでやってこれたのは、作家研究という〈個〉を軸としながら、その〈個〉から派生するさまざまな文学現象を明らかにしたいという欲望に従ってきたからです。私のように生い立ちに関係なく、不器用でもいいので、何か情熱を注ぐことができる研究対象をお持ちの方を特に歓迎します。ともに考えながら、研究を広げていきましょう。
担当科目:総合演習 (言語・メディア・コミュニケーションコース) D など