学府について

「博士論文を書き終えて」の一歩先で
山本 明日香 地球社会統合科学府・国際協調・安全構築コース
比較社会文化研究院・社会情報部門

 2022年4月に比較社会文化研究院に着任しました山本明日香と申します。生まれも育ちも関西で、去年就職活動で初めて福岡の土を踏んだ程度には「よそ者」なのですが、先生方や皆様に温かく迎え入れていただき感謝しております。

 私の専門は開発経済学とインド経済論です。……と書くことすら、実は抵抗感があります。というのも、私は2022年3月に博士(経済学)の学位を取得したばかりなのです。「博士論文を書いた結果、自分は何も分かっていないことが分かった」というのが正直なところで、「専門」について語れるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。この原稿の掲載箇所も「博士論文を書き終えて」のほうが適しているのでは?と思ってしまいますが、前置きはこのくらいにして、私のこれまでの研究について簡単にご紹介することにします。

 私は宗教と経済行動の関係に興味があります。大学院在学中から、インドの個人・家計レベルの調査(マイクロデータ)と計量経済学の手法を使った研究をしてきました。分野全体では、「個人の宗教性が人的資本にどう影響し、それが経済全体の成績にどのような影響を与えるか」、「経済発展や制度はどのように宗教への参加や信仰に影響するか」などを大きな問いとして、様々なデータによる研究が行われています。

 インドが多宗教国家であることはよく知られているでしょうし、宗教に関連した聖地や祭りなども有名だと思いますが、実は人々の生活と宗教の関係は、文化的な側面に限りません。例えば、婚姻や相続などの規定は統一されておらず、それぞれの宗教法や慣習法が運用されています。つまり制度的にも宗教は重要な情報であり、政府系のマイクロデータでは、個人あるいは世帯主の宗教について必ずと言っていいほど質問されています。日本の調査では考えられないことです。

 近年、インドの人々の中で宗教の位置づけが何らかの形で変化しているかもしれません。「世界価値観調査」の1990年と2012年の調査結果を比較すると、「神を信じるか」、「宗教を重要であると考えるか」といった質問はいずれも高い水準で肯定されています。一方で「定期的に礼拝に参加している」人の割合は減少しています。要するに、個人の宗教心と実際の宗教行動は異なっている可能性があります。その理由としては経済発展および所得の上昇、余暇の過ごし方における選択肢の拡大など、様々な仮説や要因が考えられます。

 簡単に「宗教と経済の関係」と言っても実態は極めて複雑であることが窺えます。したがって、様々な角度から相互の影響を慎重に検証していかなければなりません。私の研究はその中のごく一部で、大別すると相続法改正の研究(新たに相続権が与えられた女性の教育水準や健康状態が改善していた一方で、別の相続法が適用される宗教の人々については改善がみられなかった)、宗教間賃金格差の研究(社会的に劣位にあるヒンドゥー教徒の下位層とイスラーム教徒との間の平均賃金の差は拡大しており、その由来は多くが教育レベルの差異で説明できた)、巡礼の研究(支出が高い人ほど巡礼に行っておらず、宗教によっても行動に差があった)の3つです。とはいえ研究上の課題も多く、更なる精緻化が必要です。

 このご時世、学位取得直後に職を得られたというのはとても幸運なことです。ただ私の肩書がどうであれ、「博士論文を書いただけの人」が最初の一歩を踏み出した段階であることに変わりはありません。当然、見えている景色はそれほど変わらないのです。ですから特に学生の皆様とは、お互いに学びあうつもりで接することができればと思っています。本当の意味で「教えられる」ことは何もありませんが、ぜひお気軽に声をかけてください。交流を楽しみにしています。

 余談ですが、私はマイケル・ジャクソンのアルバム『Dangerous』が大好きです。そのオープニング・トラックである「Jam」で歌われている協同や自己確立のメッセージは、どこか地球社会統合科学府の理念に通じるところがあります。“Nation to nation, all the world must come together / Face the problems that we see then maybe somehow we can work it out”―― 一緒に頑張りましょう。

 

 

             インド・ビハール州某所の村にて

プロフィール

担当科目:International Cooperation, Security and Safety D, 演習(開発経済学/Development Economics)、総合演習(国際協調・安全構築コース) B