(1) 自己紹介
●文化人類学に出会うまで
私は1956年10月に東京の世田谷で生まれまし た。(正確に言うと、産声を上げたのは、渋谷区広尾にある日赤産院ですが)。それ以来、1989年に九州大学に赴任するまで、小学校時代に父親の転勤で静 岡県に住んだ2年と、ブラジルでフィールドワークをした2年弱を除けば、ずっと東京で育ちました。私が生まれた当時の東京は、まだ東京オリン ピック前の、そこここに原っぱや空き地のある、まだ社会的に隙間のある都市でした。小学校時代は、ちょうど日本の高度経済成長の時代で、鉄腕アトムの世界 がいずれ実現するのだと能天気に信じていられる幸福な時代だったのです。
小学校の4年から6年まで、静岡県駿東郡清水町とい う、沼津と三島の間にある、(今では柿田川トラストで知られている湧水のある)町で暮らしました。田舎の町に突然迷い込んだ東京からの転校生は、最初は言 葉を笑われたりしていじめられたりもしましたが、自然に恵まれた場所で過ごせたことは、振り返れば幸せだったと思います。あれが、「はじめてのカル チャー・ショック」、「はじめてのフィールド・ワーク」だったかもしれません。東京に戻ると、同級生たちが中学受験の準備をしていて、これも「カル チャー・ショック」でした。私はもともと、まわりの人達に自然に同化してふるまうことが苦手で、つねに自分が「地球人のふりをしている宇宙人」か「魔法で 人間にされてしまった犬」のような気分がしていましたが、これが人類学をすることにどうつながってきたのかは、よくわかりません。高校は、神宮外苑の隣に ある都立青山高校です。そのころから、文化人類学というものに興味をもちましたが、高校では剣道部に忙しく、その方面の勉強を体系的にしたわけではありま せん。しかし、大学では文化人類学をやるのだと根拠もなく思い込んでいたのでした。
●文化人類学とのかかわり
幸い、文化人類学のコースのある東京大学に入学する ことができ、教養課程の1〜2年生のときには、全学一般教育ゼミナールというもののひとつ、社会学者の見田宗介(真木悠介)氏の「比較社会学(?)」とい うゼミに熱心に参加していました。3年になって教養学科の文化人類学コースに進学してからは、かなり自分勝手に文化人類学を学んできた気がします。卒論の タイトルは、「ラテンアメリカにおける異質な文化伝統間の諸問題」とか言うもので、アフリカ系ブラジル文化のことを扱いましたが、ある先生の言葉を借りれ ば「八方破れ」なもので、今お見せできるようなものではありません。
大学院(東京大学大学院社会学研究科文化人類学専 攻)に進学してからは、まあ研究者の道を目指したわけですが、入学式の席で研究科長に「皆さんは人生における重要な選択をしたわけです」と言われるまで は、そんなに重大な選択をしたという自覚はなく、ただ、自分は、いわゆる「会社人」にはなれないだろうと思ったまでです。修士論文は、「ブラジル北部地方 の宗教と社会: possession-tranceとsaint-cultをめぐって」というもので、「変性意 識」(Altered State of Consciousness)の制度化についての理論的検討と、ブラジル 北部(アマゾン地方)の混成的な宗教伝統のなかでのシャーマニズムとアフリカ系の憑依宗教について論じたものです。このころから現在まで続いている関心と しては、一方に、憑依、アイデンティティ、人間の文化的構築などについての問題系があり、他方に、シンクレティズム、異種混淆性(hybridity)などについての問題系があります。
博士課程に入ると、フィールドワークということにな るのですが、そんなこんなの経緯から、ブラジルに行って、アマゾン地方のアフリカ系の憑依宗教というものについて調査することを考えました。しかし、ブラ ジル行きの奨学金や研究助成を日本で得ることは、今以上に難しく、やっとのことでトヨタ財団の研究助成を得ることができ、1983年の暮れに、生まれて初 めてブラジルに旅だったわけです。ブラジルをフィールドとしているというと、「日系人の調査ですか」とか、「日系人の親戚でもいるのですか」と聞かれたり しますが、私の場合、まったく瓢箪から出た駒です。 「サンバおたく」だったわけでも、「アマゾン狂い」だったわけでもありません。
ブラジルでは、一応サンパウロ大学の研究生という身 分で、4ヶ月ほどサンパウロで調査の準備作業の勉強をした後、84年の4月から85年の6月まで、アマゾン河口のパラ州ベ レンという町を中心に、夜な夜な憑依宗教の儀礼に出続けてフィールドワークらしきものをしました。そこで調査していたのは、一般的名称としては、 ウンバンダ(Umbanda)と かカンドンブレ(Candomble)とか呼ばれるものですが、アマゾン地方のそれは、それにさらにアマゾン・シャーマニズム的色彩が加わって、とにかく 混淆の極致のような宗教です。この調査のあいだに知り合った人々や憑依霊たちには、ずいぶん親切にしてもらって、ベレンはいまや第二の故郷のようなもの で、「サウダーヂ」(ポルトガル語で、ここにないものに対する強い郷愁を意味します)を感じます。
85年に帰国して、翌年から学振の特別研究員、東京 大学教養学部の助手(中南米分科・人類学)を経て、89年に九州大学に赴任して今日に至っています。その間、二つの文部省科研費のプロジェクト(「ブラジ ル民衆文化の研究」「西 アマゾンのシャーマニズムと自然観」)のメンバーとして、4回にわたり、合計して1年余りブラジルで調査をしたほか、96年には、3ヶ月ほどグァ テマラでも調査をしました。また、91年から93年まで2年間、国際文化会館の社会科学国際フェローシップ(新渡戸フェロー)を受けて、テキサス大学オースティン校のラテンアメリカ研究所(ILAS)に客員研究員として滞在しました。テキサス大 学に行った理由は、(大学選定の理由は省略しますが)、これまでの研究をまとめ、今後の研究の方向についてじっくり考えるためでした。その点では、実り多 かったと思いますし、関係者・関係諸機関にあらためて感謝したいと思います。92年は、おりしも、アメリカ「発見」500周年にあたり、それをめぐっての 行事も多く、また議論も活発で、その点でも、幸運だったと思います。滞米中に完成した博士論文(「憑依霊としてのCABOCLO:アフロアマゾニアンカルトの憑依文化」) は、東京大学大学院総合文化研究科に提出し、帰国後審査を経て、学術博士号を得ました。
帰国後は、大学院が発足したりして諸事多忙ですが、
徐々に新しい方向にそって成果を公表しつつあるところです。最近の関心や課題については、また時間が出来しだい、ホームページに載せたいと思います。実
は、今年(99年)の6月から10ヶ月ほど、ブラジルのエミリオ・ゲルヂ博物館に研究に行く予定だったのですが、諸々の事情で出発が遅れています。さて私
は、今年中にブラジルに行けるでしょうか? ……… と書いて以降のあれこれについては、ページ冒頭の「折々のお知らせ」をご覧ください。
(2) 主要な業績
●著書および学術論文
[01] | 1984 | 「アフリカ系の人 びと」、大貫良夫編、『民族交錯のアメリカ大陸』、山川出版社、pp.335-370. |
---|---|---|
[02] | 1985 | 「テヘイロ:ブラジルの憑霊 宗教」、『季刊民族学』、第34号、pp.67-79. |
[03] | 1986 | Entre Nagoizacao e Umbandizacao: Uma sintese no culto Mina-Nago de Belem, Brasil. 『ラテンアメリカ研究年報』、No.6, 日本ラテンアメリカ学会、 pp.13-53. |
[04] | 1986 | 「憑依霊としてのカボクロ:アフロ・ブラジリアン・カルト研究における二つのモデ ル」、『民族学研究』、 51巻3号、日本民族学会、pp.248-284. |
[05] | 1988 | 「クーラとタンボール:北部ブラジルの憑霊カルトにおける成巫過程」、『国立民族学博物館研究報告』、13巻1号、pp.69-125. ★ |
[06] | 1991 | 「集束する音・拡散する音:アフロ・ブラジリアン・カルトの憑依儀礼」、藤井知昭・山田陽一編、『環境と音楽』、東京 書籍、pp.169-198. |
[07] | 1991 | 「アマゾンの〈ウンバンダ化〉:ブラジルへの〈統合〉?」、『社会科学論集』、第31集、九州大学教養部社会科学研究室、pp.49-128. |
[08] | 1992 | 「個性化としての憑依」、中牧弘允編、 『陶酔する文化』、平凡社、pp.51-83. |
[09] | 1993 | 『憑依霊としてのCABOCLO:アフロアマゾニアンカルトの憑依文化』、博士論文、東京大学大学院総合文化研究科.★ |
[10] | 1994 | 「個人:独立自尊と孤立無縁のあいだ で」、浜本満・浜本まり子編、『人類学のコモンセンス』、学術図書出版社、pp.165-183. |
[11] | 1994 | Umbandizacao dos Cultos Populares na Amazonia: A Integracao ao Brasil? In: Hirochika Nakamaki & Americo Pellegrini Filho,eds. Possessao e Procissao:Religiosidade Popular no Brasil (Senri Ethnological Reports, no.1), National Museum of Ethnology,pp.11-59. ★ |
[12] | 1994 | Possessao e Discurso: os “Caboclos” nas Religioes Afro-Amazonicas, Latin American Studies,no.1,pp.73-88. |
[13] | 1996 | 「Tupy or not tupy, that is the question:独立後のブラジルに おけるコロニアル言説」、『比較社会文化』、第2巻、pp.1-13. ★ |
[14] | 1996 | 「近代への別の入り方:ブラジルのイン ディオの抵抗戦略」、清水昭俊編、『思想化される周辺世界』、岩波書店、pp.255-280. |
[15] | 1998 | 「アフロブラジリアン宗教からの視 点」、大貫良夫・木村秀雄編、『文化人類学の展開』、北樹出版、pp.175-192. |
[16] | 1998 | 「異種混淆の近代と人類学」、『現代思 想』第26巻7号、pp.92-105. |
[17] | 1998 | 「芸術/文化をめぐる交渉:グァテマラ のインディヘナ画家たち」、『国立民族学博物館研究報告』、23巻1号、pp.35-93. ★ |
[18] | 1999 | 「開発のなかのアマゾン:発明される自 然・否認される社会」、清水透編、『〈南〉から見た世界5:ラテンアメリカ』、大月書店、pp.203-236. |
[19] | 1999 | 「すばらしき開発の言説」『現代思想』第27巻12号、pp.98-109 |
[20] | 2000 | 「奴隷と黒人の近代:帰還と回復の神話 をこえて」、大貫良夫・川田順造編、『生態の地域史』、山川出版社、pp.362-395 |
[21] | 2001 | 『異種混淆の近代と人類学:ラテンアメ リカのコンタクト・ゾーンから』、人文書院 |
[22] | 2001 | 「文化の脱植民地化:ブラジル・モデル ニズモのレッスン」、栗原彬ほか編、『越境する知・第6巻・知の植民地』、東京大学出版会、pp.239-264 |
[23] | 2001 | Modernidades hibridas e Antropologia, Boletim do Museu Goeldi, vol.17, No.2, pp.609-630 |
[24] | 2002 | Antropologos Japoneses e a Antropologia Brasileira, In: Americo Pellegrini Filho & Mitsuru HIguchi Yanaze, eds. Encontros Culturais Portugal-Japao-Brasil, Editora Manole, pp.31-44. |
[25] | 2003 | 『憑依と語り:アフロアマゾニアン宗教の憑依文化』、九州大学出版会 |
[26] | 2003 | Negotiating Tradision and Modernity in Amazonian Pottery, Acta del XICongresi de FIEALC 2003 ★ |
[27] | 2005 | 「私の野蛮人:レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』調査」、太田好信・浜本満編『メイキング文化人類学』、世界思想社、pp.161-187 |
[28] | 2005 | 「アマゾンの陶器生産」、『季刊民族学』第113号、pp.92-104. |
[29] | 2007 | 「認知されなかった民族誌:ルース・ランデスの『女たちの町』」、『ラテンアメリカ研究年報』No.27、pp.31-58 ★ |
[30] | 2008 | 「土器の生涯:土器片・レプリカ・触知性」、『文化人類学』73巻2号、pp.221-240. ★ |
[31] | 2010 | 「物質性の人類学に向けて」、『社会人類学年報』36巻、pp.1-23. |
[32] | 2014 | Inheriting the Prehistoric Past, Artistically: Two Case Studies, IUAES@Makuhari Messe, Japan, May 16 ★ |
[33] | 2014 | 「イノチを生む動く線とリクツが生む複雑な形」『縄文の手・現代の手』(飛ノ台史跡公園博物館)、pp.4-6。★ |
[34] | 2014 | Moving Lines engender Life/Complicated Froms are generated by Logic, 『縄文の手・現代の手』(飛ノ台史跡公園博物館)、pp.7-10。★ |
[35] | 2016 | 「現代・アート・縄文―縄文コンテンポラリー展の展望」『わたしたちのみなもと』(第16回縄文コンテンポラリー展カタログ)、pp.23-26。★ |
[36] | 2017 | 「ワークショップとしての「縄文コンテンポラリー展」『とび博でアートみぃーつけた』(第17回縄文コンテンポラリー展カタログ、pp.21-24。★ |
[37] | 2017 | 古谷嘉章・関雄二・佐々木重洋編『「物質性」の人類学―世界は物質の流れのなかにある』、同成社。 |
[38] | 2017 | 「プロローグ 物質性を人類学する」『「物質性」の人類学』、同成社、pp.3-32。 |
[39] | 2017 | 「世界の多貌性とシャーマンの変身」『「物質性」の人類学』、同成社、pp.205-236。 |
[40] | 2018 | 「アフロ・ブラジレイロ:人々と文化の交錯」『アメリカス研究』(天理大学アメリカス学会)第23号、pp.175-183。★ |
[41] | 2019 | 「先史文化×考古学×現代アート」、長井謙治(編) 『JOMON ART:芸術の力で縄文を伝える』 東北芸術工科大学、pp.202-208。 |
[42] | 2019 | 「不在のものの現前:廃墟・劇場・仮面」(第19回縄文コンテンポラリー展カタログ)、pp.36-37。★ |
[43] | 2019 | Presentation of the Absent: Ruins, Theaters, and Masks, (第19回縄文コンテンポラリー展カタログ)、pp.38-39 ★ |
[44] | 2019 | 『縄文ルネサンス―現代社会が発見する新しい縄文』平凡社。★ |
[45] | 2020 | 『人類学的観察のすすめ―物質・モノ・世界』古小烏舎★ |
●総説・コラム・評論・解説
[01] |
1987 |
「知るも知らぬも逢うさかのアメリカ」『GS,no.6:トランスアメリカ、トランスアトランティック』、UPU,pp.117-119. |
[02] | 1990 | 「アマゾンでの補修あるいは補囚」、『九大学報』、no.1284, pp.8-11.★ |
[03] | 1990 | 「博物学のアマゾン」、『Museum Kyushu』、34号、pp.65-69.★ |
[04] | 1991 | 「ブラジルのミディアム」、フジテレビ調査部編、『あれからのメディア』、pp.117-130. |
[05] | 1992 | 「憑依解釈の問題点」、中牧弘允編、『陶酔する文化』、平凡社、pp.223-226. |
[06] | 1993 | 「オースティン、テハス」、『九大学報』、no.1328,pp.22-26.★ |
[07] | 1995 | 「ブラジル:海の女神も河イルカも」、『言語』 vol.24,no.10, 大修館書店、pp.106-107. |
[08] | 1995 | 「アフロブラジリアン音楽とよばれるもの」『ラテンアメリカの音楽と楽器』 NHKきんきメディアプラン、pp.50-51。 |
[09] | 1996 | 「遙かなるアマゾンの隣人」、『CROSSOVER』,no.4,pp.12-13..★ |
[10] | 1999 | 「アマゾンの医療システムの参与観察」、清水透編、 『〈南〉から見た世界5:ラテンアメリカ』、大月書店、pp.237-240. |
[11] | 1999 |
「ビジネス・アズ・ユージュアル」『現代思想』第27巻11号、p.254 |
[12] | 2001 | 「Belem 2000:O Futuro Ja Comecou」、『CROSSOVER』no.11,pp.22-25★ |
[13] | 2003 | 「ブラジルの憑依儀礼カンドンブレ:アフロブラジリアン音楽の揺籃」 『第19回〈東京の夏〉音楽祭2003』、p.32 |
[13] | 2005 | 「ヴァかワ、死んだらわからない」、人文書院ウェッブサイト |
[14] | 2007 | 「ブラジル」、山本紀夫編、『世界の食文化 13:中南米』、農文協、pp..210-217 |
[15] | 2008 | 「『芸術』辺りと人類学」、『文化人類学』73巻2号、pp.155-157 ★ |
[16] | 2011 | 「アマゾンのトゥクピ」『VESTA No.82 ソースの文化論』、pp.30-31。 |
[17] | 2011 | 「縄文土器の第二の『人生』」『ビバ縄文! 先史飛ノ台とメキシコ・マヤの根』船橋市飛ノ台史跡公園博物館、p.3 |
[18] | 2011 | The Second Life of Jomon Earthenware、『ビバ縄文! 先史飛ノ台とメキシコ・マヤの根』船橋市飛ノ台史跡公園博物館、p.6 |
[19] | 2012 | 「触ると触れる:人間と世界のインターフェース」『世界思想』39号、pp.25-28。 |
[20] | 2012 | 「人類学がとりくむべき物質性とは何か」『民博通信』 136:20-21。★ |
[21] | 2012 | 「物質性を文化人類学する」『月刊みんぱく』2012年10月号、pp.10-11. |
[22] | 2012 | 「ゴミと物質性」『民博通信』139:24-35。★ |
[23] | 2013 | 「縄文土器と対話する現代アート作品」『飛ノ台史跡公園博物館紀要』第10号、p.24。 |
[24] | 2013 | 「石器や土器の物質性、からだの物質性、見えないものの物質性」『民博通信』142:18-19。★ |
[25] | 2014 | 「世界は物質の流れのなかにある」『民博通信』146:20-21。★ |
[26] | 2015 | 「人間学のキーワード:物質性(Materiality)」『月刊みんぱく』2015年1月号、p.20。 |
[27] | 2015 | 「二次元の平面、三次元の物体、物質化されないイメージ」『環』(第15回縄文国際コンテンポラリー展カタログ)、p.5。 |
[28] | 2015 | Two-dimensional Plane, Three-demensional Objects, and Non-materialized Image、『環』(第15回縄文国際コンテンポラリー展カタログ)、p.6 |
[29] |
2017 | 「出版物 「物質性」の人類学」『民博通信』159:24。 |
[30] | 2018 | 「縄文ルネサンス」@〜F、『西日本新聞』、3月6日、7日、8日、9日、14日、15日、16日。 |
[31] | 2018 | 「仕掛け罠としての〈制作+展示〉、『縄文遺物と現代美術―考古学から生まれるアート』(堀江武史個展@農と縄文の実習館なじょもん、新潟県津南町)、p.4。 |
[32] | 2018 | 「アフロ・ブラジレイロ:人々と文化の交錯」『The Americas Today』、no.78、pp.7-8。★ |
[33] | 2018 | 「ブラジル国立博物館火災:失われた現在、過去、未来」『世界』11月号、pp.33-36。 |
[34] | 2018 | 「土偶のなかに現代が見える」『とび博 土偶のアート伝説』(第18回縄文コンテンポラリー展カタログ、pp.20-21。★ |
●翻訳
[01] 1990 ジョゼフ・M・ルイテン著『ブラジル民衆本の世界』、御茶の水書房、(中牧弘允らと共訳)
[02] 2003 ジェイムズ・クリフォード著『文化の窮状』、人文書院、(他の5人と共訳)
●事典項目執筆
『文化人類学事典』(弘文堂、1987)
『ラテンアメリカを知る事典』(平凡社、1987)
『世界民族問題事典』(平凡社、1995)
『世界民族事典』(弘文堂、2000)
『歴史学事典』(弘文堂、2004)
『文化人類学文献事典』(弘文堂、2004)
『文化人類学事典』(丸善、2009)
●書評・新刊紹介
[01]1988 『ブラジル宣言』(弘文堂)書評、『ラティーナ』9月号、p.60
[02]1988 『ラテンアメリカン・エスノグラフィティ』(弘文堂)書評、『ラティーナ』10月号、p.60
[03]1996 『癒しと和解』(ハーベスト社)書評、『理論と方法』19号、pp.80-83
[04]1998 『人類学のコモンセンス』(学術図書出版社)新刊紹介、『民族学研究』、63巻3号、p.349
[05]2000 『バリ島』(講談社)新刊紹介、『民族学研究』、64巻4号、p.536